2016年5月20日金曜日

レーザー、マスターズ•ワールドへの旅 2016

メキシコ、ヌエボ•バジャルタの海での帆走
「メキシコでのマスターズ•ワールド、出てみようかな」、そう思い始めたのは、昨年の8月、サンフランシスコでのUSマスターズ、3日間にわたる強風レースでヘロヘロになった後、別れ際にピーターさんがかけてくれた「また来年のUSマスターズで会おう。いや、それともその前に、メキシコでかな?」という何気ない言葉からでした。(これに関してはここに書かせてもらいました。) ワールドでレースをするというのはレーザーを始めた頃からの夢。でもそれは自分には縁のないものと思っていたし、20年以上本格的なレースから遠ざかっていて、その夢さえも忘れかけていました。行ってみたいな。調べてみると、アメリカの選考基準ではその年のレース成績で順番に選ぶけれど、与えられた選手枠が一杯になるということは最近はなく、手をあげれば行かせてもらえそうだということが分かりました。となると、問題は、自分自身が頭に描いた「ワールドに出るための基準」に自分が達しているか、大会までに達することができるか、ということになりました。そしてワールドでの一番の目標を「全レースを完走し、大会を楽しむこと」に据え、レースを楽しむためには、たとえ風が強くてもそれに負けない体力をつけることだ、と考えました。

それからは、ハイクアウトベンチを工作し、朝1時間早く起きるようにして朝一のストレッチの後、ハイクアウトの練習。オフィスに出る前の1時間をジムでのヨガやコアトレーニングクラスに出る。前から続けていた週末の水泳の距離を伸ばす。Youtubeで上手い選手のフォームや、ロンドンオリンピック、W杯などのレースの映像を繰り返し見て、イメージトレーニング。(睡眠学習になることも多かったですが。) セーリングのブログなどからセーリング理論、戦略•戦術、新しい走らせ方などを学ぶ。そしてもちろん、なるべく多く海の上に出る。出られる練習会やレースは全て出るようにしました。出艇する前にはその日の課題を考え、帰って来た後には、良かった点、悪かった点などをノートにつけるようにしました。そうしていると、練習の成果は少しずつ目で見える形になり、「トシ、最近速くなったじゃないか」とセーリング仲間から冷やかされるようになり、レースでの順位にも現れてくるようになりました。うん、行けるかもしれない。そして大会に申込書を提出し、1月に入るとそれが正式に受理されたという連絡が入り、いよいよワールドが現実のものになりました。それからも各課題に重点を置いた練習を続け、ハイクアウトベンチでのハイクアウトも10分間できるようになり、メキシコに出発する前には、「うん、準備ができた」と思えるようになりました。

ハイクアウトベンチでのトレーニング
そして迎えたヌエボ•バジャルタでのマスターズ•ワールドは、期待を上回る素晴らしいものでした。トロピカルな気候、青い海と青い空、安定して吹く風、手際のいい運営、美味しいメキシコ料理、フレンドリーな人々。特にホテルとハーバーの立地条件が素晴らしく、ホテルの部屋を出て5分も歩いたら艇のバース。毎日のレースの後には「あー、今日も吹いたなー」と心地よく疲れて海から戻り、艤装を解除して部屋に帰り、手早くシャワーを浴びて、まだ日が傾きかけたばかりの部屋の外、バナナやヤシの木の生える庭を見ながらボトル1本のメキシコビール。これは間違い無くセーラーの楽園だなあと思いました。

夢の舞台、ワールドでのレース前の艤装風景
レースは安定した風が毎日吹きました。11時過ぎ頃から海風が吹き始め、それがだんだんと吹き上がって行って、それが5時頃まで続くというパターンで、多くのレースが7−8m/s前後の風の中で行われました。自分にはちょっと強めの風で、中•上位にはなかなか行けませんでしたが、トレーニングのおかげで、オーバーパワーになってヘロヘロになるということはなく、レース期間通してフルハイクを続け、集中力も維持することができました。途中ハイクアウトをサボりそうになると、「おい、トシナリ、それがお前のフルハイクか?真実のハイクアウトなのか?」という声が聞こえ、「おお、そうだった。まだいけるぞ!」と体を再び外に乗り出すのでした。1日2レースで、第1レースは軽風の中スタートするということも何回かありましたが、「待ってました、得意の軽風、おれの風!」と喜んでも、実は軽風はみんなが得意らしく、むしろ強風のレースよりも順位を落とすということもありました。

レース4日目、第2レース、上マーク回航前
そしてレース最終日。軽風で始まった第1レースは、メキシコの海の神様が、「タカヤナギくん、最後に君にプレゼントをあげよう。でもそれを生かすも殺すも君次第だよ」と言ってくれているようでした。ラインのややピンエンドよりからいいスタートを切って、上位集団に入り、周りのトップセーラーを見ながらも自分のセーリングでスピードを維持することに心がけて丁寧に走り、5位でフィニッシュすることができました。そして迎えた最終レース。風はいつものように吹き上がって8m/s強。レースを通して順位はあまり気にしていませんでしたが、2日目以降ずっとほぼ同じポイントで並んでいるニュージーランドのドナルド選手がいて、昨日くらいからちょっと彼もこっちを意識しているような雰囲気。吹いている風の中、台形コースの2回目の上マークを回るときにも、また彼とはほぼ同じ順位。それを得意のランニングのレグで少しリードして、「これで彼には勝ったな」と思ったのもつかの間、アビームのレグに入る前のマークでのジャイブで、メインシートがくるんと輪を描いてブームエンドに引っかかってしまった。「よりによってこんなときに!」艇を少し上らせてその輪を取る間にドナルド選手はすぐ後ろに迫る。勝負は最後の下マークからフィニッシュラインへの短い上りのレグへともつれ込みました。泣いても笑ってもこれが最後だ。その5分弱の上りは、渾身の力を込めての魂のハイクアウト。彼との差を少し広げて、近い側のコミッティボート側に飛び込んでフィニッシュ。そして、6日間、12レースの全てが終わりました。

レースが終わり、タイトリーチでかっ飛びながらハーバーに戻るとき、「えへへ、おれ、やったなあ」と最初は笑いがこみ上げてきたのですが、それはすぐに嗚咽に変わり、うわーん、うわーんと泣けてきたのでした。それはしばらく続きました。多分それは、5位を取れたからでも、ニュージーランド艇に競り勝てたからでもなく、100%自分の力を出し切った、という万感の思いから体の中からこみ上げてきたものだったと思います。


思えばこのワールドへの旅は、昨年の8月、「メキシコでのマスターズ•ワールド、出てみようかな」と思った時から始まっていました。そしてその大会が終わった今、「ワールドへの旅は全然終わっていない」と感じています。マスターズは同じ年齢層の人たちとレースをする。だから自然に同じ選手と次のレースでも顔を合わせることになり、それが続いていく。だから同窓会みたいになるんですね。もちろんレースではシビアだけれども、親交を深め、お互いにリスペクトを持ち合う。75歳以上のクラス、レジェンド•フリートの人たちなんて本当にすごいと思います。自分も、これからも長くヨットに乗り、世界中の仲間と走り合って、お互いかっこいいじいさまになれるように頑張りたいと思っています。(最後に、この大会に出るのをサポートしてくれた妻に感謝したいと思います。)

ワールドへ参加するきっかけを作ってくれたピーター•サイデンバーグさんとのツーショット

補足です
  • 今回のワールドでの写真を何枚かここにアップロードしました。
  • このYoutubeのビデオクリップは、レース4日目にたまたま私がインタビューされた様子が映っています。

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